丸田南里さんって?
幕末の時代に長崎の商人、グラバーに誘われてイギリスに密航し、その後故郷の奄美大島に帰る。鹿児島県の保護下にある鹿児島商人を中心とする大島商会の砂糖売買独占に対して砂糖勝手売買運動をおこし、奄美の解放に貢献した。
なぜ、14歳という若さにしてグラバーに随行して英国に渡ったのか。その経緯が書かれた書籍とかあるのかしら。
機会があったら読みたいですね。
南里さんのお墓が井根町にある。
お目にかかりたい。そんな想いで行ってみました。
名瀬小学校近く、電柱に看板が。
矢印の方向へ…
少し歩くと左上にお墓が。
まだこの先ですよ。の目印が。
階段を上ると細い道を歩く。
狭っ。
もう少し歩く。
あれかしら?
ありました。丸田南里さんのお墓。
明治20年(1887)若くして36歳で亡くなる。
この共同墓地にひっそりとたたずんでいました。
西洋のデモクラシーを学んで黒糖自由売買運動を民衆に喚起指したヒーロだったんですね。