笠利の赤木名に厳島神社がありました。
説明書きがありました。
明治以前は弁天宮と呼ばれ、神体弁財天石像は天保九年、石工山田龍助作によるものがある。明治四年以降厳島神社と改められ、明治三十年ごろ外金久の氏神となり、中金久字金久田九ノ九番地から塩間一四四番地に移転されたものである。航海、芸術の神として、また安産のための祈願は今もなお絶えず、その存在は不可欠なものがある。
しばらく歩いていくとレンガ色の社殿が登場。
なにかが書かれていたので近づいてみます。
きれいにされていますね。
どうやら昭和41年7月に建てられたもよう。
あたりを見回すとなかなかの絶景でした。