「奄美シャーマンのライフストーリー」を読んで。
この本には奄美で神として生きる、ユタ神のこれまでの人生、またこれからの神としての生き方が書かれていました。
ユタ神様それぞれの神になるまでのプロセスってのが壮絶で読んでて辛いものがありました。その中のシャーマンの一人、Sさんに降り注ぐ不幸の数々。
Sさんの息子の死
「うちの息子も運勢が悪いっていうのをずっと私に見えてましたから、いっつもここで泣き、神様の方で泣き・・・・。それで仕事から帰るものならもう、家の前には黒幕が垂れてね。それで今の主人にね、お父さんって、お家に入れないって、この子のね、黒幕が垂れてお家に入れないよってバーッと海に走れ走れだったの。そう、この子が亡くなる前。
そしてSさんは言う
一番人間の怖いのは、うぬぼれと自信過剰っていうのが一番怖いんだと思うんです。いつも、だから私はまだまだ通過点に過ぎないとね、生きてる限りは。
そしてもうひとりのシャーマンのHさんの宇宙観。
人間には前世がきれいだった人は一人もおりません。欲があったり。あん畜生、こん畜生みたいに思ったり、ね。この世の中で心を磨きますけど、あの世の世界に帰っても魂になっても洗わなくちゃいけなくて天国に行くのが遅いんですよ。だから輪廻転生は遅いんです。
「神」になることは奄美では決して喜ばしいことではない、諦めという。それを受け入れるしかない「諦念」による生き方、犠牲、苦悩、奉仕、そして「謙遜」これがシャーマンになるキーワードになっているような気が私はしました。自分の人生が困難な連続にあり、それがあって人の痛みに気付き、人を助けようと思う神の試練のようなものだと。
キェルケゴールは「真理の証人とはその一生涯、内なる戦い、恐れ、おののき、誘惑、魂の苦悩、霊的苦痛を深く味わい尽くした人の事である。真理の証人とは殉教者のことである。」と言った。