昔あった「とおしめ」らしき場所が気になって
テリヤの近辺をぐるりと歩いてみました。
ブラタモリでも取り上げられていましたね。
ブラタモリ 「#66 奄美大島」 2017年3月4日 170304
ここはすでに廃墟となっているのでしょうか。
いつもは結構な交通量なんですが、この日は元旦の朝でした。
さすがに車が少ない。あえてこの日を狙っていました。
進んでみます。
道路脇に「とおしめ」の碑がありました。
ホント、分からないぐらい見つけにくい。そもそもここを歩くという発想がありません。車で通る時は全く気が付きませんね。
反対側の道↓
この記事、あとがきに保存して放置(笑)
時間が経ってしまいました。タモさんが来てから思い出したんですね。
ブラタモリ観てからようやく内容を理解したという次第です。
ブラタモリ勉強になるなぁ。
ブラタモリの記事まとめて詳しく書きたいなぁ。
「とおしめ」の由来
奄美では通し穴を「とおしめ」と呼ぶ。古い民謡で「真浦のとおしめ」と歌ったのはこのトンネルのことである。およそ二百五十年前、島の開拓の祖田畑左文仁翁はこの上手に新田をつくるため、堤防を築き海水の出入りを調整する「とおしめ」を掘った。難工事だったが多くの人々の力を結集して貫かれた。小山の上には鎮護を祈って弁財祭られたという。
見た感じ弁財天様はご不在の様子。
やはり、ここから移った弁財天様は本龍郷のでしょうか。
早速、とおしめを覗いてみましょう。
おお。
下を覗き込んだら穴がありました。
これが「とおしめ」です。
#ブラタモリ 奄美 地理院地図1975年の写真で干拓の堤防と堤防の内側の緩衝地帯(海水)と大きな岩がはっきりわかる。https://t.co/SYjbLZ9RA9 pic.twitter.com/RAtIvffUYu
— 大泣きお猿 (@oonakiosaru) 2017年3月4日
ツイート拝借。
こうやって地理院地図を見るとよく分かりますね。
私が生まれる前、1975年にはまだ内側の緩衝地帯(海水)があったんですね~
あれ?下に降りれる階段があります。
下までは降りれないようです。
階段はここまで。
階段からの道路側はこんな感じ。
戻ります。
他にも遺跡があるので見て回ると楽しいかもです。